Steve Jobs, 1955 - 2011

Apple創始者スティーブ・ジョブズ氏が亡くなりました。
ジョブズ氏の名前を初めて目にしたのは、80年〜90年代の「ログイン」というPCマニア向け雑誌です。当時、熱狂的に愛読してて、Apple][ のゲームや NeXT STEP の先進性を熱く語る記事にまんまと乗せられて興奮しきりでした。でも、正直二人のスティーブのどっちがウォズニアックでどっちがジョブズなのか区別がついてませんでした。


その後、会社を辞めて起業しようか悩んでたときに、例の伝説のスピーチを見て、相当な衝撃を受けたことは覚えてます。
すっかり忘れてましたが、Firefoxの「起業」ブックマークフォルダには今でも日本語訳のページリンクが残ってました。


その程度なので、氏について語る見識など持ち合わせてませんが、亡くなった後に次々と語られるジョブズ氏のエピソードはとても興味深いです。その一つ…

「まつひろのガレージライフ」Steve Jobs の思い出


壮絶。


このエピソード、ご本人も「伝説に尾ひれがついた」と指摘されているとおり、事実かどうか分かりません。
でも、社員が「事実」ととらえていた以上、本当か嘘かは関係なく、そこに恐怖があったことは間違いないでしょう。


Apple のすごいところは、ジョブズの(独尊的な)美学を具現化するという企業方針が、製品にもサポートにも滲んで溢れてるほど徹底されている所だと感じてます。


Apple の製品には問題がたくさんあります。ちょっと前の「日経ビジネス」に載っていたアフターサポートランキングでは、ぶっちぎりの最下位でした。
ソフト開発者からみても、異常なほどに親切マイクロソフトに比べ、Apple は、「自分たちのやり方に合わせる気があれば出してもいいよ」的な電波がビンビン伝わってきました。AppStoreから理解不能な理由で削除・掲載拒否された話は尽きません。
その代わり、多少の犠牲を払ってもその美学に酔いしれることができれば、最高のエクスペリエンスを教授できる。このブログも、こんな言葉で締められてます


「恐ろしくも楽しい時間、本当にありがとうございました。」


そこそこ賢い社員が沢山いる企業で、「個人の美学」を突き通すには、ここまでやらなきゃムリなんでしょう。そして、数多の美学は、「ひとりよがり」として世の中から消滅し、奇跡的に生き残った美学だけが大成功を収めると。


自分は以前、社員の役割・権利が守られた会社に勤めていて、そこでは「個人に依存しない」仕事のやり方を指向していました。
製品企画も「各部門の合意」が必須で、そのための根回しに走り回ったことを思い出します。民主的で平和。独裁の恐怖とは無縁。


ところが、仕事中にたまたますごい「原石」を見つけてしまい、捨てなければ会社の居場所はないと言われ、結局、石を抱えて会社を飛び出すことになってしまいました。
他の社員に迷惑をかけずに石を磨くには、独裁的に突き進むことが許される環境に飛び出すしかなかったのです。
ジョブズも会社を追われ、一つの意志を徹底して追求する覚悟をキメたんだろうなと想像します。
しかも、覚悟が人並み外れて過激だった。


ジョブズ氏のプロダクトやサービスを自分でも使いたいか?と聞かれれば、
「みんなが使ってキャズムを超えた頃に使いたい」
というヘタレっぷりですが、
Apple製品は自分の製品に影響があるか?と聞かれれば、
全力でYES
です。


自分はジョブズほどの器じゃないので、「世界を敵にしても道を切り開く」覚悟はないけど、多大な犠牲と引き替えに手に入れた「独裁権」で、ほんのちょっとでも未踏の荒れ地を開墾したい。

ジョブズ氏のご冥福を祈りながら。