FY2011 in 世田谷

ウチの会社には専用の事務所はなく、東京在住の相方と松本在住の社長(自分)は自宅作業が基本。


とはいえ、仕事の打ち合わせやセミナーで上京する機会が多く、その都度移動するのは効率が悪い・・・
そこで、知り合いが仕事場として借りているマンションで一緒に仕事させてもらいながら、夜は簡易ベッドで寝泊まりさせてもらうことに。
2010年の夏に転がり込んでから1年半。まだコワーキングなんて言葉もない頃に時代を先取りしてました。


高井戸駅にほど近いマンションは、コンクリートの打ちっ放しで全く生活感を感じさせない部屋でしたが、自分にとっては大変に居心地が良く、2011年度は120日近くここで生活してました。




一年前の3.11も、発売したばかりの自社製品の機能追加をしながら、次の製品の仕込みに奮闘していた瞬間・・・
あの地震を体験した場所の光景は誰でも脳裏に焼き付いてると思うけど、自分にとっては事務所の風景が鮮明に思い出されます。


倒れそうなディスプレイを押さえつけながら反対の建物のTVアンテナが飛び跳ねる様をただ見つめてたこと。
オフィスシェアしているメンバーと朝までニュースに釘付けになったこと。
甲州街道の歩道に徒歩帰宅者があふれていたこと。
翌日どうしようもなく不安になって、目の前を走る世田谷線に乗って三軒茶屋をふらついていたこと。
twitterの節電呼びかけに応じて、暖房も証明も切って毛布にくるまりながら見た夕焼け。


それからの1年、会社と自分にとっては試練の連続で、相当厳しい時間を過ごすことになったけど、なぜかここに来ると、「なんとかなるんじゃね?」みたいに思えたのは不思議。


そんなわけで、下高井戸は忘れられない街になったのですが、諸々の事情により 3月で退去 することになりました。
残念ながら、この地に居る間にビジネス的な成果を上げることは出来なかったけど、いよいよ完成に近づいた渾身の映像エンジンはここで培ったもの。デキは本当に自信ある。


ビジネスが成功した暁には、いつも横目で見ながら入れなかったバーで祝杯を挙げたい。